まずはアスパラガスのほ場を訪問する。TAMIYAMA SIAM CO.,LTDではタイ国農業省との協力関係下で、農家との栽培契約を基本方針として、アスパラガス栽培農家約2500軒、栽培面積にして約240万坪。オクラ栽培農家では約850軒、面積は28万坪を抱えている。契約栽培する事により農家の所得もタイの一般的米作農家より遙かに高額になっているらしい。(写真1)はアスパラ農家のひとり。背景はアスパラガスほ場で、花 屋でブーケ材料になる「アスパラ」が植えられ、食用となるアスパラガスはその新芽として土より出てくる。

(写真2)は、アスパラ畑のあちこちに立てられた粘着ボードで、黄色のものと白いものがあり、それぞれの色が好きな虫がひっつき、どのような虫がどのくらい発生しているかの目安にしている。そして虫の 種類・発生状況によりハーブから抽出した農薬(?)で対処しているそうだ。このシステムを農薬に頼らない害虫管理農法(INTEGRATED PEST MANAGEMENT)略してIPMと呼んでいる。

各農家から出荷されたアスパラガスはサイトと呼ばれる集荷場に集められて選別・計量される(写真3)。Aグレードのものは全量TAMIYAMA SIAM CO.,LTDが買い付け冷蔵トラックで工場へ搬入されるが、所謂ドロップグレードのものはブローカーが買って行く。

次にオクラのほ場に移動。アヒルの泳ぐクリークに沿った両岸にそれぞれ広い畑と海老養殖池が並ぶ。オクラにしてもアスパラガスにしても、日本の上手く管理された畑とは違い土づくりが進んでいない印象を受けた。有機ぼかし肥料を自社生産して(写真4)土に入れているとの事だがまだまだ団粒化も進んでいない。土質は基本的に赤土で、(写真5)の様に畝の側面に所々黒く変色した処があるのはここのほ場は鉄分が非常に多く、それが土俵にしみ出してきて酸化鉄になっているため。そのためボカシ肥料には大量のリンが加えられている。

沿道に車内からみた水田やトウモロコシなどの畑も種の直播きらしく、一瞬とまどった。苗代を作って整然と田植えなどせずとも、自然に任せておけば一定の収量を上げられる恵まれた土地風土と言うことなのだろうか。

つぎにTAMIYAMA SIAM CO.,LTDの工場を視察する。工場内は撮影禁止なので外観だけどうぞ(写真6)  工場に一歩入ると働く人の多さに驚く。何とピーク時には1000人を越す熟練ワーカーが働くそうだ。大半が若く美しい(かどうか全員が帽子とおっきなマスクを付けいるから判別不能だが)女性だが、この工場は地域の雇用に素晴らしく貢献していることは確かだろう。

彼女たちにより再選別・予冷・洗浄・カッティング・計量・パッキングされてその日の内に出荷されて行く。それらの作業のいずれに置いても静粛かつ黙々と水が流れるように勧められて、集中力の持続がひとときも途切れることがないようであった。工場は温度管理・衛生管理は徹底されていて、アメリカからエチレンガス(植物のホルモンで、果物や野菜の熟成を促す)除去を主目的とする「Bio-KES」および湿度の適正レベルを保つための「HUMIDTY SISTEM」等を積極的に導入した最先端ハイテク工場だ。

この工場で特筆すべきは、各ほ場からのアスパラガスをサンプリングして10数人のお姉さんが机に向かって、歯科で歯石除去に使うような先の鋭い道具を使ってアスパラについた虫などをほじくり出し、害虫の予防対策にフィードバックするための作業を行っていたことである。僕たちご一行様のおじさん達にはそれらの虫の殆どは肉眼では到底見えない。虫眼鏡を使っても芥子粒より小さな虫やその玉子をよりだしているのだ。すっげえ。しかし、あの歯石除去の道具を目の前に突きつけられたら「あわわ。ごめんなさいっ! 何でも白状しますぅ!!!!!」という気持ちになるのは僕だけだろうか?

この日の夕食はNAKORNPATHOMというシーフードレストラン。ここの名物料理は生きた巨大手長海老に高温の油を掛けて、火山の形をした金属製蓋をかぶせ、火口から炎と煙を立ち上らせたままテーブルまで運ばれてくる。僕は元々遠慮深く思慮深く、八面玲瓏と人様によく言われ、粗酒粗餐・粗衣粗食にもよく耐え、非常に小食、プリ ウスのごとき燃費の良い、お行儀の良い人なのだが、この海老は思い切り喰った。もはや人様のことなど考えも浮かばない。僕でさえこの有様なのだから、こと食い物に関しては金剛不壊の食欲を持ち、鎧袖一触の行動力を発揮するご同行の皆様においては暴虐無人の有様で、テーブルは正に兵荒馬乱と相成ったのである。正直、今まで喰ったどの海老よりも甘く旨く香ばしい逸品であったと申し上げよう。(写真7.8)

三日目の朝は午前6時出発。の強行軍である。いよいよ今回視察旅行のハイライト、メーンイベント、千秋楽であるマンゴとマンゴスチンのほ場見学である。血涌き肉踊るとはこのことか。とはいえバスで往復600Kmは長すぎる。気がつけばもうお昼で片田舎の商店街でカニチャーハンと青菜の炒め物、お好み焼きの様なもので昼食。もうそろそろインディカ米が鼻に付いてきて、皆様余り食が進まない。

早めに抜け出して商店街をショーウィンドなど皆無だがウィンドショッピングする。するとお菓子屋さんと思われる店舗に素晴らしい商品を発見!! 何故かバーツの現金を使い果たしポッケには小銭もない。振り返ると青果部のホープH君がぷらぷら此方へ歩いてきた。

私 「おおいH君。金出せ。すぐ出せ。全部だせ!」
H 「待って下さいよ社長。カツアゲしはるんでっか?」
私 「ちゃう。僕にこの飴さん買うてくれ。二つ・・・いや三つ買うてくれ!!!」
H 「なんで僕が社長に飴さん買うてあげにゃあかんのですか?大した給料もろてないのに」
私 「やかましい! ごちゃごちゃ言わんで銭だしたらんかい!!!」
しかし金に細かいH君はついに一つしか買ってはくれなかった。そのときH君はこのことが後のボーナス査定時に重大な影響を及ぼすとは夢にも思っていなかったのである。

その因縁の飴さんが(写真9)である。メロンといちごとオレンジのキャンディーを個々にセロファンに包んだ後、柔らかな木を細く削ったもので上下をくくりそれを束ねてある。何という職人技! 何というアジアンテイッスティクな美しさであろう。H君は一つし買ってくれなかったので食べるわけにいかぬ。我が社の永久保存コレクションとして大奥の金庫にしまわれることになった。

マンゴ(MANGO)はウルシ科の植物で、その果実は一般的に勾玉の形状をしているのが特徴である。果肉は淡黄色~濃黄色で甘みと酸味のバランスが非常に優れていて美味しい。果物の酸味は所謂コクであって、甘いだけでコクのない品種は衰退する。リンゴにおけるインドリンゴであり、梨においては長十郎などは絶滅したと言えるだろう。タイからの輸入可能な品種は主にナム・ドク・マイ種(さらにNo.4とGoldenに分類される)ラッド種・ナングラーワン種である。ナム・ドク・マイ種では、大きいもので500gを越えるものもある。フィリピン産のペリカンマンゴはタイ産のマンゴに比較して小さく、甘みが勝ち、繊維質が多いので、タイのマンゴの輸入量が増えれば駆逐されてしまうであろう。

マンゴ・マンゴスチンはミバエの検疫上、タイと日本の政府の合意の元条件付きで輸入が解禁された。タイ人・日本人植物検疫官の立ち会いのもと、VHT(蒸気熱処理)済み後、輸出前に検印印を得ることが条件とされる。

マンゴの、果物専門店・スーパーマーケットに於ける重大な注意点が一つ有る。特に関東以西の地域では決してマンゴを丁寧に呼称してはならない。頭に「お」を付けて呼ぶことは恐ろしい結果を生むことになる。

マンゴもマンゴスチンも大木である(写真10)。マンゴは枝から写真11の様に枝からぶら下がっている。従って収穫は(写真12)の様に長い竿に袋がついたスペシャルツールを使っておこなわれる。袋の先にはカッターナイフの刃が逆さV状に取り付けられていて、それでスッパリ切り取る。マンゴは20cm程度つるを残して切り取る。切り取るとすぐに切り口から勢いよく樹液が飛び出し、それが果実に付けば表皮にしみを作り商品価値が無くなってしまうので慎重に切り取られる。全部切り取られるのは、設備の整った工場に搬入されてからであるが、このときにも樹液が噴き出す。

タイでの最後の夕食は中華料理のSHANGRILAというレストラン。せっかく産地に行ったのにマンゴは沢山食べられたが、肝心のマンゴスチンは食べられなかった。「果物の女王」は日本では冷凍品しか輸入されておらず、生女王様を喰いたい、吸いたい、舐めて見たいという欲求が皆様充満してフラストレーションがたまり、目は血走り、毛は逆立ち、涎をたらし、暴動寸前の車内であった。そのような狂気溢れるご一行様の目前に女王様がお出まし下さったのだ! 何という幸運! 何という幸せ! すぐに一同レストランの床にひれ伏したのは言うまでもない。(写真11)

 

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写真9 写真10 写真11 写真12