5月26日。明日は午前8時30の飛行機だから、実質台北最終日だ。MRTで台北中央駅から一駅の「台大醫院駅」下車。目指すのは現「中華民国総督府」。日本統治時代は 「台湾総督府」と呼ばれていた。現在でも台湾総督が執務しているが、平日のAM.9:00から正午まで一階だけだが見学が出来る。

さて朝食だが、どこか適当な所で食べようとしたのだが、時間が早すぎ開いている飲食店が少なかったのと、折しも降って来た大粒の雨で移動し辛く、雨宿り先のスターバックスで軽く済ます。

総督府は、日本統治時代最大の建築物で、中央の塔の高さは60m。台湾初のエレベーターが設置され、当時は24時間歩哨が立っていた。その代わり今は要所要所に自動小銃で武装した兵士が警戒に当たり、近辺にはミサイルが配置されているという。

日本人用受付でパスポートと荷物を全部預け、女性兵士から金属探知機でチェック される。一人のおばあさんが出て来て「ようこそ。私が案内します。」と奇麗な日本語で声を掛けてくれた。見学は無料で、主に日本語世代のお年寄りがボランティアで案内してくれる事になっている。  展示そのものはパネルと多少の物品だけなので少々しょぼいが、私達についてくれたボランティアの林玉鳳さんのお話が非常に興味深く面白かった。帰国してからネッ トで林さんの名前を検索してビックリ。とても有名な方だと知った。

林さんは昭和二年(1927)生まれで、学校卒業後台北の呉服店に就職。戦争で男性が次々に招集され少なくなって行く中、自転車に乗れる林さんは重宝され、「その頃が私の青春で、一番楽しかった。」と話される。

蒋介石率いる国民党軍が共産軍に追われて台湾に来て、日本から行政を引き継いだのだが、政府・官僚・軍・警察が悪質で腐敗し、内省人(元々台湾にいた人達)には、日本の統治との落差を体験し怒りと不満、失望が蓄積されていたという。

そんな中、1947年2月、闇煙草売りの女性を警官が暴行し、所持金と商品を奪った。 それを見ていた人々が女性を助けようとしたが、警官は発砲し死者が出た。翌日28日、デモ隊が抗議のため市役所に押し掛けたが、行政側は機関銃を群衆に向けて発砲し多 くの死傷者が出た。これをきっかけに全土で暴動が起こり、蒋介石は武力で鎮圧をはかり、さらに日本時代高等教育を受けたインテリ層の人々が弾圧され殺された。死者は約28000人と言われているこの事件は2.28事件と言われている。

林さんはこの2.28事件の突端となった現場にいて、すべてを見ていた。その後台湾 では戒厳令が敷かれ、李登輝氏が令を解く1987年まで続いた。

その間、林さんは結婚し子供をもうけ、ご主人の事業を助けて生きてこられたが、台湾が民主化するまで林さんに取っては暗い時代。それが「その頃が私の青春で、一 番楽しかった。」と言わせるのだと思った。

なぜか台湾でTシャツにもなっているK君(笑)が石川県出身で、台湾の治水に貢献した同郷の八田輿一の話や、国民党軍の「乞食の集団かと思った」話など、生の歴史を語ってくださったが、あっという間に時間は過ぎてしまった。台湾にお出かけのときは、是非総督府見学をお進めします。228記念館にも行きたかったが、時間が無いのと林さんのお話が結構ヘビーだったので次回に取っておく事にしました。

続く・・・。