奥びわこ湖水の駅 魚助のレストランと鮒ずしの販売をしています。

鮒ずしをはじめとする「なれ寿司」は現在の寿司の原型とされているようだが私はそうは思わない。江戸時代に流行し始めた江戸前寿司というのは、それまで高価だった米酢の代わりに、酒粕を放置し自己消化後酢酸発酵させた粕酢が出回ったことにより庶民に広まった。だが冷蔵設備など当然ない時代、現在のように刺身を切り握ったすし飯にのっけてどうぞというのではなく、ネタは酢でシメるか煮るかヅケにするか等々の何らかの仕事をして保存性を高めたものであった。つまり発酵という作業を、酢という発酵食品を飯に混ぜることにより省いた画期的食品であったのだ。

それに対してなれ寿司の歴史はかなり古い。弥生時代に米の渡来と生産の拡大が始まった後に動物性たんばく質の保存方法として作り出されたものと考えられる。微生物の存在など全く知らなかった先人の知恵は大したものだ。発酵と腐敗は同じもので、人に役に立つものが発酵だから、発酵・腐敗は同率で発生する。成功と失敗を繰り返しながら経験を生かし、伝承を何代にわたって繰り返した結果それぞれの発酵食品として確立していったのだろう。なんということでしょう。

魚助松井さんの鮒ずしは、

産卵直前の、卵巣に卵が入った二ゴロ鮒のエラと卵巣以外の内蔵を取り除き、塩漬けにする。エラと腹にもしっかりと塩を詰め、全体にもくまなくまぶす。桶に鮒と塩を交互に隙間なく何層にも浸け込んで重しをし、3ヶ月から一年に渡り浸け込む。ここまで水は使わない。塩漬け後水洗いして1日干す。若干の塩を加えた飯をエラ・腹にも詰め込み、隙間なく鮒と飯を交互に詰め込んでいき稲わらを編みこんだ物パッキングする。

蓋をし空気に触れないよう水を張って1年、大きいものは2年乳酸発酵させる。

松井さんはこの水を毎日、多いときは二度替える。これは結構大変な作業なのだが良い鮒ずしを作るためにはかかせない。

下の写真は、

今回の取材のために水を替えないで一週間そのままにしておいてくれたもので、微生物が浮き上がりコロニーを作っているのがよくわかる。香りに釣られてコバエが集まっている。きれいな水に替えた桶でも発酵が進んでいる証拠に時折泡が上がってくる。

松井さんは以前、鮒ずしが食べられなかった。料理人に憧れて京都で修行していた松井さんは家業を継ぐために塩津に呼び戻され魚や野菜、その他の食料品を車に積み込み行商をした。松井さんのおばあさんであるいとさんは鮒ずしを作りもし、漬け方をお得意先に教えてもいた。いとさんが亡くなり、魚助商店の鮒ずしが消えてしまう数年前までイトさんの鮒ずし作りを手伝ったことが今の鮒ずしの基礎となった。念願の料理店「塩津海道魚助」を開くのにあたり、琵琶湖の素材を使った料理を食べてもらいたいとの思いを抱いたが、それには鮒ずしは欠かせない。あれこれ鮒ずしを買ったりもらったりして試しては見たが、それでもあの独特の匂いに耐えられなかった。

それじゃ自分で作ってしまえ。いとさんの手ほどきはあったものの一から作ったことはなく、はじめは発酵せずに腐敗させてしまったことも多かった。それでも試行錯誤を繰り返し、良質な蔵つきの乳酸菌にも恵まれて、初めての人にも食べてもらえる鮒ずしができるようになった。松井さんの鮒ずしは決して臭いものではない。それどころかフルーティーな醸造酒のような香りがする。ナチュラルチーズのような香りがする。噛み締めればより深い味わいが口の中に広がり、酸味と甘味で唾液が溢れてくる。  鮒ずしを食べたことがない方、食べたことはあるが降参した方、是非一度魚助の鮒ずしをお試しください。