(NO2よりつづき)3 いかにも体によさそうな売り方をしている商品は本当に体にいいのだろうか・・・。たとえばコラーゲン飲料について

食品の安全性は増した、とはいえ、私たちはまだ安心するわけにはいきません。そのいい例が「コラーゲン」入りとうたった清涼飲料です。容器にかかれた宣伝文句に、ヒフに関するものが多いのは、コラーゲンがヒフや骨などを作っている蛋白質で、細胞の分化や増殖にも関係し、年齢とともに、その合成が減るといわれているからです。

「お肌のうるおい成分・・・・が入ったヘルシーな、のむヨーグルト」「お肌にやさしいコラーゲン・・・あなたのキレイをサポート。コラーゲンは体を構成する蛋白質の一種で細胞と細胞をつなぐ働きをもっています」「お肌に美味しい・・・コラーゲンはお肌の真皮の約70パーセントを占める重要な成分です」

この宣伝文句は問題です。というのも、のんだコラーゲンは、決してコラーゲンそのままのかたちで吸収されることはありません。コラーゲンは蛋白質ですから、吸収されるのはそれが分解したアミノ酸としてです。コラーゲンを作っている同じアミノ酸なら、どの蛋白質からとってもいいわけです。

また、効果がありそうに宣伝している「特定保健用食品」はどうでしょうか。血圧を下げるという飲料があります。虫歯の原因になりにくいというガムがあります。お腹の調子をととのえたり、ミネラルの吸収を助けたり、血液の中性脂肪の上昇を抑えたりという食品もあります。

この特定保健用食品は、一時、機能性食品といわれていたもので、いま百種類以上が認められていますが、あくまで、「食品」として検査され、表示が許可されたものです。

したがって、特定保健用食品はクスリではありません。つまり、はっきりした効果はないのです。たとえば、病気ではないが、日頃血圧が高いかなとおもっている人がのんで、気のせいか、少し血圧が下がったかな、と感じるような食品です。それは注意書きにも明示されています。「血圧が高めの人に適した食品」であって、「高血圧症の予防薬および治療薬ではない」と。

特定保健用食品をつくろうとしたきっかけは、世間に氾濫する「健康食品」を規制するためでした。健康食品の世界は、さらにあやふやです。なにより、特定保健用食品にあった客観的な評価がありません。そして、効いた!という声だけがずいぶん大きいのです。

そんな情報の発信源のひとつ「健康雑誌」の最新号を見てみましょう。「トマトダイエットで15キロぜい肉が激減」「脂肪もダイオキシンも排出する食べる炭」「総白髪がみるみる黒く変身・きな粉ドリンク」「耳鳴りが消えたレモンの生汁」「マイタケはガンに効く」「ガンも高血圧も肌の老化も防ぐブロッコリー」

この種の健康雑誌に、かこ十年間でもっともたくさん登場したのはアロエ、ついでニンジン、ニンニクの順でした。

最大の問題は、頁を繰るたびに目にとびこむ「治った!」という文字、そしてそれがすべて個人の体験だということです。治った方は、ほんとうに良かったと素直におもいます。しかし、医学では「治った」という言葉は、非常に慎重につかわれています。患者さんにあるクスリを投与したら病気が治った、としてもそれだけでそのクスリで治ったとはいいません。クスリを飲まなくても治ったかもしれないし、病気でなかったかもしれないからです。

「治る」という言葉の裏には、ものすごい手間と綿密な客観的な検証が隠れているのです。それが医学の常識のはずです。もし、これらの雑誌の記事が事実なら、治ったという療法や情報について、なぜもっと科学的に検証され、正式な場で、多くの人の理解がえられていないのでしょう。

一人のがん専門家の話を思い出しました。彼は化学療法の専門家で、昔からインフォームド・コンセントにつとめ、治療も欧米のきびしい尺度でやってきた人です。彼はいいました。「すべての患者さんが特効薬を待ちのぞんでいます。効いたとか病気が治ったというなら、きちんと手順をふんで、すべての患者さんがその恩恵に浴することができるように努めるのが医者の役目です」まったく同感です。

おわりに

自分の健康は自分で守時代です。「食べ物信仰」がここまで盛んになったのは、健康に対する不安があるからです。恐れているがんや痴呆や生活習慣病の予防に、もし食事が少しでも役に立つなら・・・。毎日食べなければ生きていけない私たちにとって、健康の基礎が食べ物にある、いうのは素直に納得できます。しかし、その食べ物に、手軽で安易な効き目を期待するのは間違っています。また過去の栄養学の歴史には、いいといわれていたものが、一転して、あれは危険、となったものがたくさんあります。食べ物に薬効を期待するのは、その意味でも危険です。

いったい私たちは、なんのために食卓にすわり、一日三度、食事をするのでしょう。健康で病気にならないためもある。しかし、その前に、食べ物からしか得られない味覚のすばらしさ、たのしさと、食べ物を通して、家族や友人たちといっしょの時間を過ごすことで得られる一体感を味わうためではないのでしょうか。

「食べ物信仰」のもとになっているのは食品の成分と栄養素ですが、私たちの食べているのは料理です。それがとれぐらいちがうことなのかは、おそらく21世紀にならないとわからないでしょう。それがわかったときこそ、栄養学が、栄養素の働く細胞単位の科学ではなく、私たち人間全体を見据えた等身大の科学に成長したときです。

その日まで、食べ物に関する一見科学的で新しそうな情報を目にしたときには、鵜呑みにしないで、いったいどんな実験が元で、何がどこまで明らかになっているのか、きちんと確認したほうがよさそうです。

食生活に関心のある人ほど「食べ物信仰」を信じているのも、良質な情報をきちんと書いてある雑誌や単行本が少ないからです。それを提供するのが、本来は私たちマスコミの仕事なのです・・・。食べ物を本来の食べ物の姿にもどしましょう。それは、おいしいものを、まんべんなく、おいしく食べることです。

おわり