私は熱心なクリスチャンでは決してありません。でも10年もキリスト教関係の学校に通うと多少でも影響を受けるものですね。聖書の中で一番好き、というか気に入っているのが、マタイによる福音書5章13節からの「あなた方は地の塩である。だが、塩に塩気が無くなればどうして塩味を取り戻せようか。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人に踏みつけられるだけである。」というイエスが弟子達に話した言葉です。

つまり、イエスは弟子達に「かけがえのない人」になりなさい、と言っているのです。これは私の座右の銘として、いつも私自身、また仕事でも心がけています。塩は人にとって、かけがえのない物の一つである事は事実です。

人は、母親の胎内で一つの卵子が受精し、原生動物、魚類、下等動物、哺乳動物と姿を変えながら誕生しますね。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」という生物学の原則どおり、人類が30億年かかって進化してきた道を、わずか10ヶ月で再現しているのです。

その間、胎児が浮かんでいるのが羊水です。この羊水も血液も、海水のミネラルバランスとほぼ同じ比率です。人が塩を必要とするのは、人間の生命維持に海水の持つ様々な元素が必要不可欠であるためです。今私が「塩」と呼んでいるのは、塩化ナトリウムのことでなく、海水由来の自然な塩のことで、塩化ナトリウムはその構成物の一つでしか有りません。

1971年「塩業近代化臨時措置法」が施工され、伝統的な塩田はすべて姿を消し、全国に七カ所のイオン交換樹脂幕製塩工場が作られました。

余談ですが、塩は最近まで専売公社で一元的に販売されていました。専売制度の始まりは、ナポレオンがあるパーティーで、一番大きな宝石をつけている婦人の亭主の商売を調べさせたところ、煙草商でした。そこで戦費の捻出のため煙草を専売にしたそうです。

製塩の近代化というのは、海水層の中に陰・陽のイオン交換膜という樹脂を交互に入れ、電流を流してナトリウムと塩素に分化し、濃縮して製塩します。この方法では、ほぼ100パーセントに近い塩化ナトリウムが得られます。この時から日本の「塩」は塩化ナトリウムとなったのです。