「伊予小松藩会所日記」という本を読んだ。伊予小松藩というのは、現在の愛媛県小松町あたりにあった一万石という小さな藩である。城もない、正式な武士は数十人、藩内の人工は約一万人という貧弱な藩であったが、寛永十三年より明治維新まで230年続いた、歴史だけは長い藩であった。

藩の領主は一柳直頼朝を初代として代々続いたが、家臣の筆頭である家老職は、初代に付き添ってきた喜多川家が世襲していた。この喜多川家というのが私のご先祖らしい。明治維新直前まで家老職にあった「喜多川さん」が私の親父の曾祖父さんに当たるという。

殿様の仕事の第一番は世継ぎを作ることであり、世継ぎに恵まれぬ藩は幕府によって厳しく領地を没収され、お家断絶になったのである。従って藩の経営の実務は、家老を頂点とする行政機構で運営され、「会所日記」とは家老の執務室である会所で、政務を綴った記録であり、150年もの書き続けられた江戸時代の人々の生活が実に細かく、かつ興味深い記録である。本書ではこれを読みやすく現代文でかかれている。

参勤交代は大名にひどく経済的打撃を与えた。伊予小松藩の小藩にとってはこの経費がたまらなく藩経済を押しつぶす。豪商や豪農、あるいは他藩に借金してでも何とか参勤交代は続けねばならない。藩経済の基礎は、年貢として取り立てた米である。家臣の給与として半分を、後は大阪の蔵屋敷で売り、金や銀に変える。現金は江戸屋敷の維持費や参勤交代の旅費、借金の返済に充てられるのである。豊作の年でも累積借金四千両という悲惨な状態であった。

従って干ばつや水害が続けば藩経済はたちまち立ち行かなくなる。そんな場合、豪商から上納金として、臨時の税金を取り立てたりしている。日記には借金取りを何とか追い返したり、時間稼ぎするという今の中小企業経営者と同様の涙ぐましい記載が多くある。

また米の不作は藩士たちの給与にも「お引米」という減給処置がおよび、天明七年の例をみると「三ツ成」という方法が適用され、俸給が一気に30パーセントにされてしまった。さらに寛政四年の藩の倹約令では、「半知」と呼ばれるさらに厳しい措置がとられた。これは俸給を五割にするようだが、実は20パーセントまで減らすことである。

今では信じられないことであるが、藩士たちは黙って従ったのである。その後、幕府から過酷な義務を課せられて、構造的な赤字財政に苦しむ藩は、藩札という禁じ手に手を染め、後にますます首を絞められていくことになる。

この11月、今年初めて売り上げが昨年対比100パーセントを割ってしまった。原因はもちろん狂牛病による牛肉や関連商品の落ち込み、野菜の相場安も大きい。テロ、企業倒産、リストラ、完全失業率最悪化、実の見えない構造改革、株安、役人の不正・無能・・・等々。消費意欲を落とす材料はいくらでもある。12月も心配になってきた。ご先祖様同様、何の因果か中小企業を取り巻く環境は、江戸時代とそんなには変わっていない様な気がしてきた。「お引き米」でもしてみようかな・・・。