フレンドフーズTopOnline shop社長「食」日記Top 

 

万引きの話

2001年1月31日

昨夜、あるスーパーでおばちゃんの私服警備員と隠しカメラで、万引きを捕まえる模様をテレビニュースでやっていました。もともと粗利率が少ない食品業界で、万引きによる被害は経営を圧迫し、死活問題ともいえます。

お陰様でうちの店は、万引き被害はこの7〜8年ほとんど無くなりましたが、以前はしばしば有りました。なにを隠そう、私は万引きの名人で・・・、でなくて、万引きを捕まえる名人です。そのつもりで入ってきたなら、瞬間に感が働き、ほぼ100パーセント分かってしまいます。目つきや、顔の表情などで感じるのです。

一度など、近所に煙草を買いに行き、若い二人連れの男とすれ違ったとき「この二人がうちの店に入ったら必ずやる」と思って煙草屋さんから店に電話し、これこれの人相・服装の二人連れをマークするように命じて帰ってみると、すでに捕まえられていました。

ある時、お爺さんが弁当を万引きしたとのことで、事務所で事情を聞くと、店舗関係の設計をしていたが不況で仕事が無くなり、蓄えも底をついて万引きで生活している、と言うのです。

近所の民生委員に相談して、生活保護の手続きをして貰いなさい。と諭してその日は帰らせました。ところが翌日、またそのお爺さんが来て弁当を万引きしたのです。さすがにあきれて警察にまかせました。

そして二三日後、お爺さんがまた来たと報告がありました。「また来たの。相変わらずの生活をしてるの? 悪いけどもううちの店には来ないで欲しい」と言ったら素直に出ていきました。ふと外を見ると、今度は向かいのコンビニにお爺さんが入っていくのが見えました。あのお爺さん、どうしているのだろう。

相手が未成年なら親を、成年なら警察を必ず呼びます。万引きは癖になります。万引きは刑事犯罪で、とんでもない事をしてしまったと自覚して貰うためには、きついお灸が必要だからです。親が自分のやったことのせいで、下げなくてもいい頭を下げる姿を見たり、警察署で取り調べられる屈辱感を味わうことにより二度としないと思って欲しいのです。厳しすぎるかも知れませんが、好奇心や冒険心による万引きが癖になって、さらなる非行に走るよりずっといいと考えます。

息子が中学を卒業したとき、お祝いは何にしようというと、東京の渋谷に連れていって欲しいと言うので、一泊二日で出かけました。タワーレコードという大きな店にCDを買いに行ったら、入った時から出るときまで、警備員につけられてしまいました。うちの親子はそんなに怪しげだったのだろうか・・・・。

社長は十分怪しいですよ!(アベル談)

 

蘇生のお話

2001年1月30日

うちの息子が生まれたとき、仮死状態で生まれてきたと後から聞かされました。無事退院し、支払いを済ませると、内訳に「蘇生料5000円」と書いてありました。この5000円は値打ちあるわ!。

菜っぱ類を市場から仕入ると、必ず「蘇生」という作業を行います。植物は土に植わっているときには、葉の表面にある「気孔」という穴から水分を蒸発させ、根から水分と栄養を吸い上げます。これを「蒸散作用」といいます。ところが収穫後もこの蒸散作用は続き、根からの水分補給が無くなったのに、葉からどんどん水分が出て行くので「しおれる」結果になるのです。

従って新鮮さを保つために、入荷後すぐに根を切り、冷水にしばらく漬けて加湿器の付いた冷蔵庫で保存します。つまり、細胞に失った水分を補給し、蒸散作用がしにくい環境、低温高湿度においてやると土に植わっていた状態を取り戻すのです。

水の温度や漬ける時間は、気温や植物の状態によって変わってきます。冬には辛い作業なんですよ。

そして、冷蔵庫での保存や売場での陳列は、必ず立ててやります。植物には「背地性」という性質があり、風などで倒れてしまったとき、地面に背向いて太陽に向かう性質で、植物にとっては多大なストレスなのです。菜っぱ類の保存はできるだけ立ててするほうが、傷みが遅くなります。特に菊菜はこの性質が強いので、すぐに丸まってしまいますね。

背中の痛みはだいぶ収まったのですが、長時間座っていると非常に患部がだるくなります。がんばって日記を書こうとしていますが、日によってお休みしなければならないかも知れません。その時はお許し下さい。

おまけ
大根を切らずに「す」の入りを見分ける方法。一番外側の葉の断面に「す」が入っていれば大根にも「す」が入っています。

 

私の趣味 木工工作

2001年1月29日

以前、お店の改装の時、柱などの木材の切れ端が出て、大工さん達がたき火にしていたのを何かに使えないかと考え、模型の車を作り始めたのが最初です。その後、電動のバンドソウ、サンダー、ボール盤、ジクソーと道具をそろえ、深みにはまってしまいました。

模型メーカーであるタミヤが朴の板のセットを出していたのですが、生産中止になる事を聞き、京都中を回って買い占めてしまいました。

たいていは写真を見て図面を起こして板を切ったり張ったりして仕上げていきます。初期の頃はオープンカーしか作れませんでしたが、工夫してクローズドカーも作れるようになりました。

写真は初期の頃の作品で、フェンダーの部分が難しく、苦労しました。特定の車種ではなく、適当に考えた車です。これらは店内精肉売場の冷蔵庫の上に展示しています。下鴨店の装飾の大部分は私が作ったものです。


 

大好きなお店 平翠軒のお話

2001年1月28日

倉敷市美観地区にある平翠軒さんは、食のおもちゃ箱のようなお店です。ご主人の森田さんは造り酒屋の社長でもあります。その森田さんが道楽(失礼)で始めたようにも思えます。全国から集めた美味しい物が所狭しと並んでいます。酒屋さんだけあって酒の肴となる珍味が豊富です。平翠軒とは森田家の茶室の名前をとったもので、ギャラリーなっていてコーヒーも楽しめる二階から見ることが出来ます。

いつ伺っても驚きと喜びを感じさせてくれる平翠軒は観光客だけでなく、地元のお客様も多く来店されるのはさすがですね。平翠軒さんのHPは
http://www.heisuiken.co.jp/

 

菠薐草のお話

2001年1月27日

菠薐草もこの時期美味しい野菜で、秋から早春にかけては、夏場のものと比べると栄養価も二倍含みます。ビタミンA・Cや鉄分がたっぷりで、ビタミンEまで含んでいます。

菠薐草の原産地は菠薐。中国語でペルシャを法蓮と呼び、菠薐草もまた砂漠地域の出身です。菠薐草の種を蒔くときは、一晩水に漬けておきます。するとその水は真っ茶色に染まります。これは種の回りの水溶性発芽抑制物質が溶けだしたためです。

砂漠に生きる生活の知恵とでもいうか、菠薐草は種の発芽抑制物質を洗い流してしまうほどの雨量がないと発芽しないのです。発芽して双葉が出た後、本葉が一対出ますが、地上部はその後あまり成長しません。

その間、根をどんどん伸ばし、水を確保するのに充分深く根を張ると、今度は一気に地上部を成長させるのです。

根と茎の付け根部分が赤く、葉の切れ込みが深い物は東洋種、葉の丸い物は明治に入ってきた西洋種です。菠薐草はもともと硝酸が多いので、生食には向きません。窒素過多で育てられた菠薐草はえぐみや苦みが強く、茹でると色が解けだしたりします。その様な菠薐草はさけましょう。

またどの様な野菜でも、かみそりなどで薄く切り、顕微鏡で見てみますと、ちゃんとした野菜は細胞が美しく整然と並んでいますが、窒素過多のものは細胞そのものもいびつだし、並び方も均一性を欠いています。

 

アベルの社長観察日記

2001年1月26日

フレンドフーズのワイン担当アベルです。アベルと言うのは鹿児島のアベル サクラ アリミズという黒豚の名前なんです。入社してすぐに社長につけられたニックネームで、ほんと失礼ですよね。

私の名刺には「田中 アベル 博海」と書いてあります。よく、ミドルネームですかと聞かれますが、その横に黒豚が前足を重ねて「よろしくねっ」とポーズをとった写真が付いているんですよ。

社長がパソコンで作った名刺で、これしか作ってくれません。でもこの名刺のおかげで、初対面の人でもすぐ覚えてもらえますけど。

では早速、今回もそんな社長の人物像をお伝えしますね。

誰でもちっちゃな失敗をしたとき「私ってアホやわ」とかいいますね。そんなとき、うちの社長は必ず「そやね」と、いわんでもいい相づちを打ちます。自分でいうのはいいけど、人に言われるのはむかつくんじゃ!

背中を痛めた社長は、コルセットのことを本気で「ガーター」と思いこんでいてみんなの失笑を買っていました。

これからも ときどき社長観察日記を書いて行こうと思いますので宜しくお願いいたします。


 

諫早湾の海苔全滅

2001年1月25日

海苔の大産地である諫早湾で養殖の海苔がほぼ全滅し、干拓のための堰のため海中の微生物バランスが崩れたことが原因か、といわれています。また、大好きなタイラギもとれなくなったらしく、あんな旨いものが食べられなくなるのは絶対ゆるせん。

思えばこの百年、人間はしょうもないことをやりすぎてきました。化石エネルギーを使い倒し、温暖化を招き、オゾン層に穴をあけ、環境ホルモンをまき散らし、自然界には無用なものなど一つもないのに、動植物の絶滅を招いてきました。

以前、地球上の総ての食物連鎖の元は土だ、と申しましたが、山の栄養やミネラルを川が海に運び、植物プランクトンが増え、動物プランクトンがそれを食べ、小魚や海老などがそれを食べ、大型の魚がそれを食べる・・・。と、海でも山の栄養・ミネラルが必要なんです。それなのに川をせき止めるなんて、海苔が全滅するのは当然で、完全な人災です。第一、減反政策をしておいて農地を広げる必要なんてないやろ!

堰を開けるのは当然。宮城県の畠山さんという牡蠣の養殖義業者は、仕事を息子さんに任せ、山に木を植える運動を続けておられます。山が豊かにならないと海が死ぬからです。この運動により、山村と漁村の交流も生まれ、海を見たことの無かった山の子どもは漁村で学べ、海の子ども達は山の生活を経験出来ました。

以前アメリカに羽のない鶏を作った者がいました。羽に回る栄養がもったいないという事を考えたのです。また密植し、単位当たりの生産量を上げるため、葉のない大豆を作った者も居たそうです。結果は、羽のない鶏は寒いので餌をよけいに食べ、鶏舎にエアコンが必要になりました。大豆は肥料代がよけいにかかり、大損したそうです。

もういい加減いらんことはやめよう。どんな進んだ学問や技術であっても、しょせん人間なんて浅はかなものだと思います。遺伝子組み換え作物だって、微生物は遺伝子のやりとりをしょっちゅうしているのだから、数年、あるいは数十年の間には、とんでもないことになっていると思いますね。

 

ねぎのお話

2001年1月24日

植物を栽培するとき、最も心がけねばならないのは、その植物の原産地の気候・風土です。例えば、中南米の砂漠原産のサボテンは、高温低湿の環境で生まれたものだから水をやりすぎると腐ってしまうし、東南アジア原産の稲は乾燥にひどく弱い。日本に渡来して何百年もたち、日本の気候風土に適応するように品種改良されたものでも、未だに原産地の名残をひきずっているのです。

ねぎ類には、太くて白い部分を食べる白ネギや下仁田ネギやリーキなどと、葉の部分を食べる九条ネギ類に分けられます。あと、玉葱・ワケギ・あさつき・のびる・らっきょ・にらもネギの仲間で、百合科の植物です。

ねぎの原産地はよく分かっていませんが、中国の西部の乾燥地帯だろうと推測されています。ネギの葉は筒状になっていて、独特の形をしています。これは乾燥地帯原産のため、出来るだけ水分を逃すことなく生きていくよう進化した形態なのです。

ねぎは「肥料食い」といわれますが、上記の理由で蒸散作用が少なく、従って水分の吸収が低いので、濃い肥料を少なく吸って育つ作物なのです。

ねぎの茎はどこでしょう。よく見ると、根の付け根に黄色い部分がありますね。これが茎で、盤茎と呼ばれています。ねぎの地上部分は全部葉なのです。ねぎは左右交互に葉が出て成長しますから、ねぎを栽培されるときには葉の向きを、畝の方向に対して直角に植えていくと密植が可能で、風通しも良くなります。

よく、刺激が強いねぎがありますがこれは硫黄化合物で、化学肥料を多量に施肥しますと多く出るようです。おいしいねぎを作るためには、ゆっりと肥料を吸わせるのが技術です。

普通の植物はブドウ糖を作り、澱粉、アミノ基、アミノ酸、蛋白質と体内で変化させて行きますが、ねぎには澱粉を作る能力が無く、糖の形で蓄えます。ねぎのぬるぬるは、冬に凍結防止のために蓄えた糖なのです。だから冬のねぎはおいしいのです。

 

傳右衛門の話

2001年1月23日

知多半島武豊町の溜・味噌の蔵元「伊藤商店」に初めて訪れたとき、そこで出会ったのは魔物にとりつかれた三人の人。「本物のたまり造り」という魔物に・・・

味噌の原点は豆味噌です。その豆味噌を仕込み、熟成させる間に木桶に溜まった黒っぽい汁がたまりで、いわば味噌のエキスです。たまりは醤油のルーツでもあります。醤油が味噌から独立し独自の調味料となったのは室町時代の半ばで、本格的に醸造・消費されるようになったのは江戸時代に入ってからで、たまりの歴史は遙かに長く悠に1000年を越します。

豆味噌文化圏である愛知・岐阜・三重地方を中心に「たまり」は残っていますが、その多くが甘味料・増粘剤・着色料を使う、効率至上主義に走り、化学調味料の味に慣らされた人達の嗜好に安易に妥協した「たまり」と似て非なるもの。または大豆と麦を使った「たまり醤油」であり、綿々と受け継がれたたまりからはほど遠いものばかりです。

代々傳右衛門を名乗る蔵元の伊藤富次郎さんは分かっているだけで9代目。10年前に本物のたまりを復活させようと決心しました。10代目となる娘さんの尚代さんと番頭の藤田さんを巻き込み、この時から三人は魔物にとりつかれてしまったのです。

味噌でも醤油でも清酒でも、伝統的な発酵食品のポイントは麹作りにあります。武豊の一角に「炊き味噌屋」と呼ばれる蔵元の家並みがあり、その中でも富次郎さんは麹造りの名人と呼ばれ、回りの蔵や地域の有名蔵元でも富次郎さんに麹造りを依頼するほどです。

大豆を蒸してつぶし、3センチ程の味噌玉にして種麹をまぶします。玉にするのは内部に乳酸菌が発生して納豆菌を抑えてくれるからです。10時間ほどで麹は働きだし麹自身の温度が上がり出します。そのまま放っておけば空気の流通が悪くなり自身の熱で死んでしまい納豆菌が暴れ出します。これを名人の勘と経験で切り返します。これからは温度が上がりすぎないようかかりきりです。

「本物のたまり」を目指す富次郎さん等が先ず取り組んだのは、木桶や道具類を初めとした蔵全部の徹底した掃除と消毒でした。納豆菌を初めとする雑菌が混じると、出来上がったたまりの中に、雑巾を絞った時の様な悪臭、「アミン臭」が生じるからです。また麹が総ての大豆を分解してこそ「本物のたまり」ですから、雑菌が混じると雑味が出てしまいます。

そうはいっても何分古い蔵のこと、簡単にはいきません。来る日も来る日も社員全員がどろんこになって掃除をします。60代70代の人達ばかりです。みんな家族の様な古くからの社員でしたが退社する人も出てきました。富次郎さんにとって辛いことでした。それでも魔物は三人を突き動かします。麹を造る室(むろ)の天井が結露し、水滴が落ちればたちまち雑菌に汚染されてしまいます。結露を防ぐ工夫をしました。原料の一つである塩も国会図書館に出向き、電話帳ほどの厚みのコピーをとり徹底的に研究して、これはと思った塩造りの現場を見て回りました。大学の専門家に相談し、文献を読みあさり、必要なら機械や装置も購入しました。

しかし、総てがスムーズに運んだわけではありません。むしろ殆どのことで深夜まで話し合い、激論というより殆ど喧嘩になったことも数え切れないほどでした。何一つとっても簡単に、あるいは「まあええか」では済まされません。仕込んでから三年経たないと結果が分からないからです。

「傳右衛門を始めてから、うちは貧乏になっちゃいました。それまではお気楽に仕事をしていたのに・・・」尚代さんは傳右衛門造りをもうやめてしまいたいと何度も何度も思いまた口にもしました。でも魔物はそれを許しません。

たまりが醤油と異なるのは、醤油は大豆と小麦を半分づつ使い同量の塩水または生醤油で仕込むのに対し、たまりは大豆だけで、その4分の1の塩水で仕込みます。これを「二分半仕込み」と呼ばれ、搾る直前のもろみは醤油の場合は水分の多いお粥状ですが、たまりのそれは味噌です。塩水の分量をもっと増やせばより多くの商品がえられます。でも魔物はそんことは許しません。魔物はとても贅沢なのです。

煉瓦の竈に据えられた巨大な鉄釜に、底に穴が開けられた高さ二メートル直径二メートルの木桶が乗せられ大豆を蒸します。ボイラーで蒸せば簡単に済みますが、それでは大豆が柔らかくなり過ぎ、長期の熟成に耐えられません。蒸された大豆はミンチ機に欠けられつぶされます。傳右衛門になる大豆には他のものより太い穴を持った特別のチップが使われています。

醤油の独特の香りは小麦の澱粉が糖化し、アルコール発酵して非常に複雑に混じり合った化合物によるものです。たまりには小麦を使用しません。それでも傳右衛門のラベルには原料表示として小麦が上げられていますのは、炒った小麦粉を大豆にまぶすことにより水分調整するとともに雑菌を防ぎ、麹の栄養ともするためです。

味噌麹に納豆菌の進入がないか、室の中で手のひらをかざして調べます。納豆菌などの雑菌が繁殖した部分は温度が回りよりも高く、味噌玉を割ってみて糸を引くようであれは゛その部分は丸ごと廃棄です。

これを高さ直径とも2メートルの木桶に堅く仕込んで行きます。最後に布を敷き、20キロもの大人の頭ほどの丸石を一つ一つ隙間無く並べ重しとします。一つの木桶に仕込むのは約2トン、石はその半分ほどの重量です。この重量で桶の中の酸素を遮断し酸化を防ぎ、三年もの長期熟成が可能になります。

原料を木桶に運ぶのも石を積むのも総て人力で行います。それからは山おろしの風に向かって建てられた蔵の中で二度の夏を越し、三年間ひたすら熟成を待ちます。大豆の栄養を微生物が総て食い尽くし旨味に変えるのは、三年という時間が必要なのです。

出来上がったもろみは木枠に運ばれて上から圧をかけられます。ピアノ線で2〜3ミリに薄くスライスし、下に広げておいた布の上に落とされます。それを何枚も重ねて圧搾機でゆっくりゆっくり搾ると、とろみのある澄んだたまりが滲みだし、糸を引くように布の端から滴りだします。

魔物の誕生です。原料の4分の1にしかならない、贅沢で素晴らしく旨い魔物です。傳右衛門は火入れしません。保存料など当然使っていません。微生物と風や温度や湿度、自然が味を左右します。従って桶ごとに微妙に味が異なります。常温保存すればカビ(酵母)が浮くことがあります。冷蔵保存は当たり前です。

富次郎さん達は、血のにじむような苦労をして造り上げた傳右衛門を、大切に扱ってくれるお店にしか出荷したくありません。必ず出向いていき、店を見て話をしてからでないと卸しません。

傳右衛門は先ず白身魚の刺身でお試し下さい。生臭みを取り去り、魚自身の旨味・甘みを引き出し、傳右衛門の旨味・甘みと相まって口の中に幸せ感がいつでも残ります。お湯を注いでみて下さい。お湯の量に関係なく旨味がどこまでも延びて行きます。自然が育んだ本物の食品の実力です。傳右衛門味噌も絶品です。

最後に傳右衛門を造って下さった富次郎さん、尚代さん、藤田さん、蔵のみなさんに心から敬意と感謝をいたしたいと思います。

 

ちょっと一息・・・

2001年1月22日

今日、気が付いたら上から下まで全部ユニクロを着ていました。一昨年ダイエットに成功したのはいいけど、それまでの衣類が着れなくなり、全部買い換え。それまでファッションなんてまるで興味がなく、息子に「お父さんらは5000円以上の服持ってへんやろ」と指摘されるほどだつたのに。痩せて以来、この年で急におしゃれに目覚めてしまいました。デザイナーのセーターを買ったり、イタリアの靴を色違いで買ったり。一時、買いまくっておりました。それが、全部ユニクロとは・・・。

思えばこれは、カナートにユニクロができたせいです。西陣のユニクロはパーキングが狭く、いつも混んでいて敬遠がちでしたが、カナートは平日にはいつでも駐車できるしユニクロそのものもゆっくり買い物できるから、ついつい買っちゃうのです。

安いし、デザインも良い物もなかには有るし、色使いはいまいちだけど。

まあ、ええか・・・。

 

塩の話 その2

2001年1月21日

「塩業近代化臨時措置法」が作られたのは、工業化・近代化の波に乗った産業界からの要求、つまりコストダウン=大量生産と純粋な塩化ナトリウムへの要求でした。塩化ナトリウムだけを「塩」とすることが、国民の健康・生命に多大な影響を及ぼすと言うことを政治家は考えていたのかは分かりませんが、私はこれが政府がとってきた愚作のなかでも最悪のものの一つではないだろうかと思っています。

日本食用研究会(日本から塩田が消えて以来、昔ながらの自然塩の復活をめざして活動・研究を続け、準国産の自然海塩「海の精」を開発。塩をはじめ、日本の伝統的な食品や食生活や食文化を再発見し、現代的な、国際的な食のあり方を新構築するという試みを行なっている会です)では、イオン交換樹脂幕による化学塩について次のような問題点をあげています。
●生産効率を上げるため、濃塩酸などの強酸を使用している。
●強酸を使う当然の結果として、苛性ソーダなどのアルカリ剤で中和しなくてはならなくなること。
●イオン交換樹脂幕を使う結果として、海水中の元素の天然存在比が人工的に破壊されること。
●海水中に天然に存在する他種類のアミノ酸、ビタミン類、糖類、酵素類、ホルモン類、プランクトン類が完全に排除されること。
●合成樹脂幕の溶出の問題。
●イオン交換式製塩業7社のうち5社までが瀬戸内海の海水を利用しており、汚染による公害物質の残留が心配される。

塩は最も基本的なかけがえのない命の糧です。それが塩化ナトリウムだけの化学塩となれば、国民全部がミネラル不足となるのは当然です。農作物さえも昔に比べてビタミン・ミネラルが半減しています。化学肥料による窒素・リン酸・カリ等の大量施肥はされますが、微量要素は出て行くばかりで補給されないからです。

厚生省の指導では、塩の摂取は一日10グラムとしていますが、あまりに減塩を気にしすぎて減塩病の人が増加しているそうです。日本綜合医学界会長 沼田医学博士によると、具体的な症状として、手足のしびれ、無気力、精力減退があげられ、いずれも自然塩の増塩によって回復しているようです。

「塩分の摂りすぎはよくない!」というのは「塩化ナトリウムの摂りすぎはよくない!」と言い変えるべきでしょう。

以前、教育評論家のカバゴンこと阿部進さんが来店され、お話を伺ったことがあります。阿部さんは平成2年3月に糖尿病から半年後には失明すると宣告されたそうです。運良く「大阪の赤ひげ」といわれる三木一郎先生という方と出会い、失明を免れました。

三木先生の治療の基本は「病は食にあり。食正しければ体良くなり、心もよくなる」というもので、「阿部さん、あなたは塩が足りない。塩水を飲みなさい」といわれ毎日自然塩を飲まれました。それ以来阿部さんは、自然塩の普及に情熱を燃やし、事務所に塩事業部まで作ってしまいました。

 

牛乳の話 その2

2001年1月20日

なぜ日本式超高温殺菌が導入されたのか、そのきっかけは森永砒素ミルク事件でした。1955年に森永乳業の赤ちゃん用粉ミルクに砒素が高い濃度で混入し、厚生省が発表しただけでも12000人が砒素中毒になり、内130人が死亡したと言う事件です。

当時森永は乳製品のトップメーカーで、原乳を広範囲で集めていましたが、当時の乳質の状態はかなり悪く、多く集めるには工場からさらに遠くまで出向き、帰った頃には腐敗寸前のものもあったよう
です。

粉ミルクを作るには原乳を加熱し80度くらいまで温度を上げる必要があります。酸化した原乳は熱に弱く凝固する性質があり、粉ミルクの歩留まりが悪くなり、また粉ミルクになっても解けづらいものとなります。そのため安定剤として第二リン酸ソーダを使うようになりました。あるとき産業廃棄物である工業用第二リン酸ソーダを仕入れ、その中に不純物として砒素が混じっていて、あの悲惨な事件に発展したのです。まあ、安定剤を使っていたのはどこのメーカーもおなじだったらしいですが。

本来なら、乳質の向上や輸送方補、規模の問題を考えるべきであるのに、また「安く・早く・大量に」の超高温滅菌という技術革新を導入し、美味しさや安全性を犠牲にして利潤に走る企業体質が現れてしまいました。これに加えてホモゲナイザーという乳脂肪を細かく粉砕して均一化させ、クリームが上部にたまらないようにする技術で、森永は売上を伸ばしていきます。

当然他社も追随して超高温滅菌に走り、こうして日本の消費者はまずい(と私の嗜好ですが)牛乳を飲まされることになりました。厳密に言えば、食品には必ずリスクは伴います。しかし、本来一番しなければならない改良改善を後回しにしていけば、砒素ミルク事件や雪印の事件は必ず再現されるでしょう。

 

牛乳の話 その1

2001年1月19日

よく欧米からの帰国子女の方が、「日本の牛乳はまずくて飲めないので困っている」とのお話をききます。日本の牛乳の95パーセントは日本式高温殺菌牛乳で、120度2秒で殺菌しています。

牛乳に関しての法律に厚生省の乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(厚生省令第五十二号)があって、昭和二十六年十二月二十七日に出されたものです。(以下省令と呼びます)

省令では牛乳の殺菌方法に関して「摂氏六十二度から摂氏六十五度までの間で三十分間加熱殺菌するか、又はこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で加熱殺菌すること。」になっています。

62度〜65度で30分というのはフランスのルイ・パツスールがワインの消毒のため考え出した方法で、パスチャライジングといいます。古くから牛乳やバター・チーズなどの乳製品に親しんでいた欧米の人は、パスチャライジングで殺菌された牛乳(以下パス乳といいます)だけを「フレッシュミルク」といいます。

外国でも高温殺菌牛乳を作っていますが、直説法と言って高温の蒸気を直接吹きかけて殺菌します。この場合、飲用乳とてはあまり飲まれず、加工用とか保存用とかペット用とされています。容器も完全滅菌され、何層にもアルミやビニールで作られた雑菌を通さない容器が使われます。日本のLL牛乳がこれに当たります。

先に「日本式高温殺菌牛乳」と書いたのは、日本では省令に「牛乳は何も添加してはいけない」というのがあり(後に改正されましたが)、蒸気もだめだということで、間接的加熱方式が採用されたのです。間接法ではいきなり120度〜150度2秒で殺菌するのは無理があり、85度くらいに予熱して置いてから高温高圧をかけるのです。これも日本だけのものです。

こんな高圧高温ですから、殺菌というより滅菌です。滅菌した牛乳を滅菌していない紙製の容器に充填するのも日本だけ。滅菌された牛乳を雑菌の通りやすい紙容器に入れるのですから、これはかなりのリスクです。

超高温殺菌牛乳の欠点は、官能的にはフレーバーが悪くなり、口にべとつき感がのこり、栄養的にはホエー蛋白は完全に破壊されて、カルシウムは熱変化して吸収しにくくなることです。牛乳の臭いが嫌いだとおっしゃる方がおられますが、あの独特の臭いは加熱によるこげ臭です。

ミニ豚を使った実験では、パス乳は母乳と同様胃の中で固まり、酵素や胃液の影響でゆっり吸収されますが、超高温殺菌牛乳ではモロモロの状態になり、すぐに腸に送られます。

ミルクは母親が子どもに飲ませるものですから、人間も含めて生で与えます。だから熱による変成のもっとも少ないパス乳がおいしく栄養があるんです。

牛の乳も乳腺では無菌ですが、乳房炎や慢性乳房炎にかかった乳房から雑菌に汚染されます。省令で殺菌が義務づけられていますので、生乳の細菌数が多いものはパス乳には向きません。

超高温殺菌牛乳メーカーは原乳を農協を通じて買うとき、どの農家からも買い取り価格は同じです。どうせ滅菌してしまうのですから細菌数の多い生乳てあってもかまわないのです。当然良質の原乳を苦労して作ろうという意欲は減退します。

群馬県の東毛酪農は良質な原乳には得点を、悪ければ減点するという方法をとり、農家とメーカーと消費者が一体となってパス乳を作っている、非常に優秀なメーカーです。

細菌数の規定は省令で、普通の牛乳の殺菌後の数は1CCに五万以下で、特別牛乳では三万以下となっています。東毛では無殺菌の牛乳さえ作れるんです。加熱殺菌せず菌数二千以下の・・・。これは旨かった。県外には出荷してもらえませんが。

パス乳はまだ菌が多く残っているのでリスクが高いし、病原菌だけを選んで殺菌するのは不可能だとの意見もあります。省令は昭和二十六年のもので、当時は衛生管理に対する農家の意識が低かったし、保冷機付きのタンクローリーなどもなく、ミルク缶に入れてトラックで運ぶような時代でした。森永乳業が超高温殺菌牛乳を導入する以前は総てパス乳でしたので細菌数の多いものもありました。

でも今は牛の衛生管理を徹底的に指導しているメーカーが多く、直接人の手はミルクに触れません。ミルカーという吸引機で搾乳し、バルククーラーにパイプで送られ冷蔵されます。東毛の最高記録は1CCあたり1400だったそうです。

 

塩の話 その1

2001年1月18日

私は熱心なクリスチャンでは決してありません。でも10年もキリスト教関係の学校に通うと多少でも影響を受けるものですね。聖書の中で一番好き、というか気に入っているのが、マタイによる福音書5章13節からの「あなた方は地の塩である。だが、塩に塩気が無くなればどうして塩味を取り戻せようか。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人に踏みつけられるだけである。」というイエスが弟子達に話した言葉です。

つまり、イエスは弟子達に「かけがえのない人」になりなさい、と言っているのです。これは私の座右の銘として、いつも私自身、また仕事でも心がけています。塩は人にとって、かけがえのない物の一つである事は事実です。

人は、母親の胎内で一つの卵子が受精し、原生動物、魚類、下等動物、哺乳動物と姿を変えながら誕生しますね。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」という生物学の原則どおり、人類が30億年かかって進化してきた道を、わずか10ヶ月で再現しているのです。

その間、胎児が浮かんでいるのが羊水です。この羊水も血液も、海水のミネラルバランスとほぼ同じ比率です。人が塩を必要とするのは、人間の生命維持に海水の持つ様々な元素が必要不可欠であるためです。今私が「塩」と呼んでいるのは、塩化ナトリウムのことでなく、海水由来の自然な塩のことで、塩化ナトリウムはその構成物の一つでしか有りません。

1971年「塩業近代化臨時措置法」が施工され、伝統的な塩田はすべて姿を消し、全国に七カ所のイオン交換樹脂幕製塩工場が作られました。

余談ですが、塩は最近まで専売公社で一元的に販売されていました。専売制度の始まりは、ナポレオンがあるパーティーで、一番大きな宝石をつけている婦人の亭主の商売を調べさせたところ、煙草商でした。そこで戦費の捻出のため煙草を専売にしたそうです。

製塩の近代化というのは、海水層の中に陰・陽のイオン交換膜という樹脂を交互に入れ、電流を流してナトリウムと塩素に分化し、濃縮して製塩します。この方法では、ほぼ100パーセントに近い塩化ナトリウムが得られます。この時から日本の「塩」は塩化ナトリウムとなったのです。

 

リンゴの話

2001年1月17日

サンフジ、サンツガル、サンムツなど、名前にサンが付いているものと、付いていないリンゴがありますね。今日はその違いを・・・。

リンゴの原産地は低温低湿な環境のコーサカス地方から中国天山山脈にかけてが原産地と推定される植物ですが、温帯に属する日本は高温高湿な環境で、病虫害が出やすいのです。

明治の初めに入ってきたリンゴは、東北を中心に広まって行きましたが、当時は大人気で飛ぶように売れて、まだ病虫害も少なかったと聞いています。

しかし、明治31年から、ワタムシ、リンゴムシ、フラン病、花クサリ、実クサリなどが大発生してリンゴ栽培は大打撃をうけました。明治37年ごろからは画期的なりんごの袋掛け(有袋栽培)やボルドー液などの薬剤散布方法が導入され、また新しいせんてい方法が研究されるなど栽培技術が著しく進歩し、りんごの商品的地位が確立していきます。

♪赤いリンゴに唇よせて♪と戦前から昭和30年頃までは、日本における果物の売れ筋トップはリンゴでしたが、ミカンの流行でその地位を奪われてしまいました。皮をむいたり切ったりするのが面倒なので、ついついナイフを使わないみかんを食べてしまう。これが本音だと思います。

昭和40年ごろから、リンゴの巻き返しをねらい、栽培農家はアメリカ西バ−ジニア州で確立していた、りんごに袋をかけずに育てる無袋栽培の技術導入しはじめました。サンと付くリンゴはこの無袋栽培されたものなのです。

無袋栽培は、ただ袋をかけずに栽培すればいいというものではありません。昔のリンゴの木は大木で、農作業は重労働で危険を伴うものでした。リンゴの木をもっと人工的に小さくしてそだて、無袋栽培で1度、矮化栽培で1度糖度が上がりますから、同じ品種ならサンが付く方がおいしいと思います。

「蜜入り」についてですが、葉の部分で作られたデンプンが、ソルビトール(糖の一種)に変化し、それが果糖変化したものがリンゴの甘さです。「蜜」は葉から果実に運ばれたソルビトールが果実に充満し、細胞と細胞の隙間にあふれ出た状態なのです。アメリカでは「ウォーター・コア」と呼ばれ、あまり歓迎されないそうです。

 

請求書

2001年1月16日

今日から、月の内で私の最も忙しい日が四日間ほど続きます。請求書との格闘が始まるのです。数えてみたら、取引先の数が580を越えていました。常に請求の上がる取引先は約400ですが、12月締は特殊な商品が多いので請求書も増えてしまいます。

チーズ屋さんの請求書を見ていて、ナチュラルチーズがよく売れるようになったものだ、と思います。以前は余り売れず、ロスばかりだしていたのに・・・。白カビのクリーミーなものは以前から売れていましたが、今はポンレベック等のウォッシュタイプまでずいぶんうれています。

バシュラモンドールという大変癖のあるものまで完売でした。お正月に自分で食べようと思っていたのに・・・。世界には数え切れないほどのチーズがあり、それぞれ美味しさを競い合っています。どうぞどんどん華麗なナチュラルチーズの味をお楽しみ下さい!

 


    

 

 
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